それは、あたしにとっては単なる作業以上の意味がありましてね。
初めて自分の包丁を買って、自分で研ぐようになってからもうずいぶんになります。 ほとんど我流で包丁の研ぎ方を覚えてきたので、今でもこれで良い、と思うことは難しいです。 もちろんキッチリ切れるようには仕上げるんですが、 よい包丁とはどうあるべきか、教えてくれる人がいなかったもんですから、 自分で考え抜いた形に仕上げるほかありません。 試行錯誤を繰り返すうちに、研ぐこと自体は上手くなりましたよ。 でもね、どんなに時間をかけても刃に意識が伝わっていないと、きれいに研ぎ上がらないんですよね。 研ぐ、と言うのは物理現象ですから、 条件がそろっていれば、半分寝ていてもきれいに研ぎ上げることはできます。 でも実際には、刃の場所によって微妙に減り方が違かったり、 砥石だってまったく真っ直ぐと言う事はないですしね。 あんまりデコボコじゃどうにもなりませんから、 砥石の状態を見極めて、手入れをして、より刃に意識を向けやすくするんです。 理由を挙げ始めればキリがありませんが、 包丁を研ぐ時は、刃に意識を向けていないといけないって事です。 心を落ち着けて、刃に向き合って初めて、良い包丁になるものだと考えているんですよ。 ですからね、あんまり日々の雑事に追われている時は包丁を研ぐんです。 そういう忙しい時ほど、何か一つ落ち着いてやる事でほかの事にも弾みがつきますし、 効率よく他の作業が進みますから、結果としては時間の節約にもなるんですよね。 他にも、まとまらない考え事があるときに研いだりします。 これは、あんまり頭の中がごちゃごちゃしてる時は、 包丁が変な形になってしまうだけなのでやらない方がいいんですけどね、 もうちょっとで考えがまとまりそうな時なんかは無心で刃に向かいます。 はっきり言って、そんなに切れなくったって料理はできますし、 いい包丁持ってるからっておいしいものができるわけではないですよ。 だからと言って関係ないわけじゃぁない。 切ったものの味が変わるから、 「切れ味」 と言うんだそうです、小林勝代さんが言ってました。 とは言ってもね、切るだけじゃなくてほかにもたくさんの要素が乗っかっている皿の上で、 包丁が切れるからっておいしいものが作れると言うわけじゃぁ当然ありません。 でもまぁね。上に砥石の状態を見極めて手入れをする事で、 刃に意識を向けやすくするって書いたのとおんなじで、 包丁を切れるように保っておく事で、 皿全体に意識を向けることができる、と言った所でしょうか。 そんなこんなでね、研ぎました包丁。 ちょっと雑ですが、もうずいぶん使ってます。よく切れます。 ここまで散々書いたように、ただ切れなくなったから研ぐだけではないので減りが早いんですがね、 その分いつでもビシッと切れます。 いつでも刃に緊張感があります。 ナイフみたいに尖っては 触るもの皆 傷つけます。 いや包丁ですけどね。人に向けちゃぁいけません。 包丁ではないのでどうやって研いだらいいか、なかなか難しいですが、 いつでもスパッと切れるよう、あたし自身も研ぎ澄ましていきたいなぁと思う次第です。 「アルジャーノンに掌底を」の「こまごまと」にトラックバックです。
by blog708
| 2005-01-07 00:15
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武禄七〇八。引越しのお知らせ。
引越し先です。
ただいま引越し作業中なので、色々お見苦しい点もあるかと思いますが、今後ともごひいきに。 エラー708 708。本丸。 ご意見ご感想、ご要望や世間話、その他なんでも フリーダイヤル 0120-708708 までどうぞ。 カテゴリ
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