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あいも変わらず戦中無休で武禄七〇八。

こちらに引っ越しました。

久しぶりに着たらなんだかね、一日平均3.3人の方が見に来てらっしゃるそうで。

すいませんお知らせもろくにしませんでした。

上のリンクから新しい武禄七〇八、よろしくお願いします。

ほれではむこうで。
# by blog708 | 2005-05-08 12:20 | 引越しのお知らせ

武録七〇八。

毎度708です。

いきなりリンクして見ました。

さて画面右にも書いてありますが、引っ越し始めました。
徐々にあちらに移っていくことになりますので、引き続きご愛顧よろしくお願いします。

今回の記事は、向こうがメインですから、あっちにいって見てもらうのがいいと思います。

さっき気が付いたんですが、武禄の禄の文字が、あっちは録なんですよ。
何にも考えずに変換しただけなんですけどね。

ホームページをはじめて、ブログに記事を書くようになって、節目が来る度にブログを変わってるんですよ。っても狙ってないんですけどね。自然と、色々変わりたくなる時期がおんなじなわけですね。

これから武録七〇八、がっつり書くことになりそうです。
お気楽な感じはまぁ書く人間がこれですからね、そんなに変わらないかもしれませんが、もっとこう腰を入れた記事を書いてきます。

得とごらんあれ。

あ、そうだ、4月の18日に帰国決まりました。やっべ後一ヶ月。

きゅわぁー。
# by blog708 | 2005-03-14 05:32 | トラックバック。

お知らせ。

毎度ご愛読ありがとうございます、武禄708です。
さて今日もインタネット屋さんなんですが、
なんともハイパーな事に、現在2つのパソコンを同時に扱っているんですよ。

すげー初めて転がる椅子が本当の意味で役に立っている。動きやすい。

というのはですね、あたしのパソコンをインタネット屋さんに持ち込みまして、ソフトを落としたり、必要な更新をしたりしているところ何です。

もうすぐ日本に帰る人間が何をやっているんだ、もっとイタリアを楽しまなければだめじゃないか、などとご指摘の内なる声がしますが、まぁそういうわかりづらい話は別。

さて何でそんなにハイパーなのか、ハイパー708なのか。もしかして709にバージョンアップか。

実はですねぇ、ブログをまた引っ越すことになるんですよ。

ここ、エキサイトさんは何も問題はありませんでしたし、むしろ使いやすかったんですが、もろもろも事情、それは新しい武禄七〇八を見てもらえば察していただけると思いますが、ともあれ引っ越します。

もう少しこっちにいて記事も書きますが、帰国前には引っ越し完了の予定です。

しかし落とす情報の量がひどく多い。さっきはメリケンだかエゲレスだかわからねぇ、イタリアで堂々と英語で喋りかけてくるくるくるパーマにねぇちゃんにパソコンの電源を抜かれて作業が中断だけならまだしも大変な事になる。。。むぅ。

ちょっとあれだ、まだなんか向こうのパソコン頑張って仕事してるから愚痴を書いてやろう、いや批判だ批判。

あのなぁ外国人、イヤ言ってやろうアメリカだ。メリケン人。てめぇこんにゃろう、人様の国にきてやがんだったらよう、挨拶ぐれぇこの国の言葉で言うもんじゃぁねぇのかい。
いやまぁ百歩譲って言葉がわからねぇとしようや、まぁそれにしたって人様の国にくるにゃぁ払うべきモンがたんねぇたぁ思うがよ。
てめぇらの国が、てめぇらの言葉が世界の標準語だぁなんてのはなぁ、そうしたいヤツがするだけの話であってな。

この国で普通に暮らしてらっしゃる方々がてめぇらの言葉に何の興味ももたねぇのがおかしいだなんてぱーちくりんな事思ってんじゃねぇぞ。

あたりまえに英語で喋りかけてくんじゃねぇ。
わからねぇからって、イタリア語で答えたからっていちいち腹立ててんじゃねぇ。

てめぇら客人として、この国の方々に迎えていただいてんだ。手前らのあみゅーずめんとぱぁくじゃぁねぇんだ。ここは人が暮らしているところなんだよ。

礼だの儀だの、言って分かるかどうかわからなぇが、恥ずかしいと思いやがれ。

何もイタリア語喋れとはいわねぇ。そりゃ簡単な話じゃねぇからよう。
だけどな、人様の国にきて、いろいろ見せてもらってんだって事、忘れちゃぁいけねぇ。
お願いしますって気持ちがなけりゃよう、見せたくねぇってひとが、かかわり会いになりたくねぇって人がいるぐれぇ分かるだろうが。

もう一度言う。いや書く。

てめぇら客人として、この国の方々に迎えていただいてんだ。手前らのあみゅーずめんとぱぁくじゃぁねぇんだ。ここは人が暮らしているところなんだよ。


えー。落ちがつきません。じゃまた。
# by blog708 | 2005-03-11 01:53 | 日記。

ダリオ チェッキーニ。

708です。

さてカリスマ肉屋で見習を始めて2月になります。

期間限定という事よりも、ダリオの性格でしょう、何よりも教えること、技を、心をつないでいくことが大事なんだ、といってくれます。

聞いたことは残らず教えてくれて、忙しいさなかに手を止めて丁寧に教えてくれることもあります。
やらせてくれ、と頼めばなんでも何度でもやらせてくれます。

まぁ暇ではないですし仕事もありますから、ずっとその調子というわけではないですが、

「お前がここを出て行くときに、全てのことが分かっているようにしよう。」

と言ってくれています。


働く以前から彼の人柄は聞いていましたし、何より仕事の誠実さに惹かれます。

こないだ、改めてダリオの考えに深く感動と言うか、また考えさせてもらいました。


うちの店ではビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを買うときは、予約をしないといけません。
あたしも始めは、何でわざわざ予約しないといけないんだろう、そんだけ欲しい人がいっぱいいるからだろう、何て思っていたんですが、ある日のこと。

やはりよく予約無しできて、ビステッカが買えないお客さんがいるんですよね。
それでまぁイタリア人ですから、いろいろ文句を言うんですが、ダリオの返事がこう。

「牛一匹から取れるビステッカってのは決まってるんだよ。
みんなが欲しいって言ったって牛一匹からはこれしか取れない。
俺の仕事はビステッカを売る事だから、売らないってんじゃないんだよ。
ただ欲しいんだったら先に言っといてくれないとな。」

との事。

考えてみれば、いや考えなくても牛一匹から取れるビステッカに限りがあることは誰にでも分かっているんですよね。
みんながどれだけビステッカを食べたくても、世の中にいる牛の数以上は取れないわけですし、ビステッカばかり食べていたら他のお肉があまる、悪くしたら捨てなければいけないかもしれない。
だから、牛のある部分だけを食べたい、と言うのは一種のわがままなわけです。

とはいえ牛一頭の命に対して、余すところなく食べて、牛の命を人間の命につなげていく、と言う責任を各人が追うこともなかなかできないですし、その責任を負わないと食べられないのであれば、なかなかお肉が食べられなくなってしまいます。

そこでお肉屋さんが、牛一頭の命を余すところなく生かすために、皆さんに上手に分ける役をしている。

ダリオの一言でそんなことを考えました。
いや考えたと言うよりは思い出した、気がついた、と言うほうが正しいですか。
あたりまえであるべきことですもんねぇ。

牛を育ててくれた人がいて、牛を食べて生きていく人たちがいて、
その間にいて、うまく事が運ぶ様にする役割としての肉屋。

そういえば太公望も一説では上手に料理を分けた人、と書かれているものもあるそうですねぇ。
奥が深い。

その役割の上に、食べることの喜び、美味しいという事を伝えていこう、広げていこうと言う姿勢。
上にって書きましたけれども、まぁどっちが上でも下でもないかもしれないですけどね。

なるほどこれぞ肉屋道。
人と牛、命と命、進みつづける時間の流れの中でそれを繋いで、進んで行く肉屋という技、心。


なんていろいろ書いたところで、ビステッカはうまいわけでね。

そんなこんな考えていると、やはり最後にダリオの言葉に行きついたので、それを最後に今回の記事を締めさせていただきます。では、

W LA CICCIA!
ワ・ラ・チッチャ!


お肉万歳!

# by blog708 | 2005-03-09 07:09 | イタリア人。

ちょっと待って。

ふむ。708です。

さて帰国も近づいてきたこのごろ、考えることも増えています。

言ってしまえばここイタリアは半現実世界なんですよね。
それが日本に、現実に帰ろうとしているわけです。

イタリアで様々なことを勉強しました。成長したと自信を持っています。
でもその一方でイタリアに慣れてしまって、日本でやりづらいことも多くなったと思います。

さてその辺は帰ってみていざ、困ってからほら、とやっつけていけばいいわけですよ。
でもね、不安です。 不安なんですよねぇ。

や、そりゃ何とかはなるでしょう。
ただその何とかでいいかどうかは別の話ですよね。

題にちょっと待ってと書いたものの、誰も何も待ってはくれないわけで。
こうインターネットを眺めているとき、半分まで行かないにせよ、日本と繋がっている感じがあります。

それはまだまだイタリアにいる、という頃は懐かしくてうれしい物でしたが、今この時期、実は恐いんですよねー。
インターネットで現実を眺めていると、こんなことしてる場合だろうか、という気持ちになります。
そしてインターネット屋さんから出た後、見ているだけで何もしていない、出来ない自分に気がついて、落ち込みます。

イタリアにいるならイタリアにいる価値のあることをすべきだ、と思うんですが、
先にも書いた現実へ帰る準備、というのに気をとられています。

とられているといっても眺めているのがほとんどなんですが、それでも何か、準備をしなきゃ、という気になってしまうんですよねぇ。何ができるわけでもないのに、と思えないというかなんというか。

む。

環境の変化で自分という人間も変わりますよねぇ。
その変わった先の自分が、今の自分と繋がりがないはずはないんですが、変わることを認めることが、今の自分の否定になるはずもないんですが、そういうことを考えて一人うんぬん言っている今日この頃ですよ。


さて、いっちょまた押してかないとなぁ。
# by blog708 | 2005-03-08 00:52 | 日記。